K's Review

書きたいこと いろいろ!!

”ミレニアム” と ”私” !! (1)

【Hulu】で
【ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女】 を
観たのが始まりでした.

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大胆な 暴力と性の描写
事件を追う 左翼系?雑誌の 編集者
グロテスクな ドラゴン・タトゥーの女

普通は このような映画のシーンは
あまり好きでなくて
落っこちてしまうはずなのに
最後まで 観おえてしまって
とても感動しました.

ですが いろいろな場面で
わからないことが いっぱい出てきて
それで とうとう
原作の翻訳を買うことになって
【ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女】を
買いました.

読んでみると また疑問がわいてきて
こんどは 作者の パートナー の書いた
【ミレニアムと私】を買って
読むことになりました.

それを読んだあとの 結論なのですが
世界で 6000万部を売ったという
この【ミレニアム】シリーズ については
自分自身の 作品の理解を助けるための
ノートのような もの が必要だと
思うようになりました.
そこで そのノートを 期間を置いて
切れ切れのものに なるかもしれませんが
書き留めていくことにしました.

<今回は その1回目>

【ミレニアム】シリーズ の作者
= スティーグ・ラーソン について
彼の パートナー の書いた
【ミレニアムと私】を参照しながら
書いてみたいと思います.

ラーソン は おばあちゃん子(おじいちゃん子)
だったということ.
彼が赤ん坊の頃
彼の両親は 彼を 祖父母に預けました.
スウェーデン北部の村で
彼は その少年時代を
祖父母といっしょに暮らしました.
祖父が亡くなってから少しして
両親とともに 近くの小都市 ウメオ に
住むようになります.

そこで 1972年(18才のころ)に
ラーソン は ベトナム反戦集会 で
【ミレニアムと私】の著者
= ガブリエルソン と出会います.
そのあと 二人は同棲して
新左翼のグループに関わりながら
ラーソン は その機関誌に
記事の投稿を始めます.

1972年には アフリカに行き
重篤なマラリアに罹って 帰国します.

その後 ガブリエルソン が
ストックホルムの大学に入学したので
彼も そこに住むことになります.
すぐあと 移民の多い
南部郊外リンケビーに移ります.
スウェーデンの移民問題
そこで 二人とも 推理小説 に興味を持ち
SF協会 機関誌の編集長を務めます.

1979年 彼が25才のころ
通信社 = スウェーデン通信 に入社し
探偵小説を含む いろいろな分野の
記事を書きます.
そして 1982年以降
外国の雑誌などにも 記事を寄稿するようになり
1995年 反人種差別雑誌【EXPO】を
創刊しました.

【ミレニアム】シリーズ は
2002年に書き始められ
その後 2年間に2000ページが書かれた
ということです.

そしてそして 2004年11月9日
ラーソンは 心筋梗塞のため亡くなりました.
50才でした.

【ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女】は
彼の死後 2005年に 発売されました.